4.考察

 3.で分布図を作成した種のうち,現在の分布と比較対象していくつかの知見がえられた種について若干の考察を加えた.対象としたのは以下の17の種及び種グループである.


1)現在と余り分布の違いがなく,産物帳の記載の正確さを示していると考えられる種

  ニホンジカ,カワセミ

2)現在はほとんど絶滅したとされる種

  オオカミ,カワウソ,アシカ,コウノトリ

3)現在の分布と産物帳の記載とを比較して,絶滅した個体群があると考えられる種

  ニホンザル,クマ,キツネ,イノシシ,カモシカ,カラスバト

4)現在の渡来地と産物帳の時代の渡来地とが,大きく異なると考えられる種

  ヘラサギ,ガン類,ハクチョウ,ツル類

5)現在の分布と産物帳の記載を比較して興味ある変化を示している種

  ジャコウネズミ,イタチ

 特にツル・ガンなどの大型の水鳥の生息地・渡来地は,産物帳の時代と現在とで大きく異なり,水辺環境の変化をうかがわせる.また,現在は絶滅した,オオカミ・コウノトリなどは産物帳の時代は全国で広く見られていた.どのような過程を経て250年間の間に姿を消したのか,解明が待たれる.


比較対照した現在の分布の資料としては,以下の資料を用いた.

 カモシカ以外の哺乳類

  「第2回自然環境保全基礎調査 動物分布報告書(哺乳類)全国版」(1979,環境庁)

  「第2回自然環境保全基礎調査 動物分布報告書(哺乳類)全国版(その2)」(1980,財団法人日本野生生物研究センター)

  「第3回自然環境保全基礎調査 動物分布調査のためのチェックリスト(目録・分布表・類型表)(下)(1983.環境庁自然保護局)

 カモシカ

  「ニホンカモシカの分布域,生息密度,生息頭数の推定について」(1979,環境庁)

 鳥類

  「第2回自然環境保全基礎調査 動物分布報告書(鳥類)全国版」(1979,環境庁)


ニホンジカ Cervus nippon

 産物帳の記載によれば,第2回自然環境保全基礎調査で分布が確認されなかった茨城県(常陸国),山形県(出羽国庄内,米沢),岩手県(陸奥国南部盛岡領)に分布していた.シカの主な分布制限要因には,イノシシ同様,積雪があげられる.山形県,岩手県でもこの地域は積雪量が少なく,分布を阻害することはないと考えられる.従って,この点では産物帳の記述は現在の知見と矛盾してはいない.むしろ,正確なものと考えられる.


カワセミ Alcedo atthis(アカショウビン Halcyon coromanda キマショウビン Halcyon pileata)

 カワセミは「魚狗」,「翆翠」などと呼ばれていた.現在も全国で見られる.

 「みやましょうびん」,「やましょうびん」と呼ばれたものは,「本草網目啓蒙」によれば,全身赤色,駒鳥に似た声,などとありアカショウビンと比定できる.第2回自然環境保全基礎調査では,生息が確認されなかった対馬で,産物帳の記載があった.

 筑前の「やましやうびん」は,色紫,腹紅なり,と「本草網目啓蒙」に記されており,これはヤマショウビンと比定できる.備中では産物帳本文の記述では失われているが,絵図に,「都志よに」として記された種がある.携帯や色彩の特徴から,これも,ヤマショウビンをさしていると考えられる.阿波でも「からしょうびん」という記載があり,これもヤマショウビンをさしていると考えられる.現在は,数少ない旅鳥として対馬,南西諸島などに渡来するが,かつては各地で見られたものと考えられる.


ニホンザル Macaca fuscata

 産物帳に記載のある地域の多くは,現在分布が確認されている地域と重複している.例外としては,次のケースがあげられる.即ち,常陸国で記載があるが,現在茨城県ではニホンザルの分布は確認されていない.かつて生息していたものが,絶滅した可能性がある.


ツキノワグマ Selenarctos thibetanus

 現在絶滅したとされる九州では,産物帳当時は生息していた.第2回自然環境保全基礎調査で把握されたなかでは,四国の個体群の分布域が狭く,危険な状態にある,と考えられる.


キツネ Vulpes vulpes

 広い地域の産物帳に記載があった.現在でも四国では,分布域がせまいが当時からその傾向は出ていた.産物帳では記載のあった壱岐では,第2回自然環境保全基礎調査の際は分布が認められなかった.もともと島嶼での分布が少ない種であるため,絶滅した可能性がある.淡路島では昭和30年代に絶滅している.


イノシシ Sus sucrofa

 現在,西日本を中心に本州,四国,九州,南西諸島等に分布する.第2回自然環境保全基礎調査では,岩手県,山形県では分布情報がえられなかった.産物帳による分布をみてみると,岩手県(陸奥国南部盛岡領),山形県(出羽国庄内)に分布が認められる.この地域では,積雪量が周辺と比べて少ないため,イノシシの主な分布制限要因とならないのではないか,と考えられる.従って産物帳の記述は正しいとしてよい.この地域のイノシシは,産物帳の時代から現在へいたる,どこかの時点で絶滅したものと考えられる.


カモシカ Capricornis crispus

 現在は,生息していない中国地方(出雲),伊豆に産物帳の記録があった.中国地方のカモシカは狩猟圧によって絶滅したとされるが,250年前にはまだ生息していた.多くの地域で食用とされていたらしく,「しし」(肉)という呼び名が各地でみられた.伊豆地方の記録は,隣接する愛鷹山の個体が進出したものの可能性もある.遠江懸川では,「わしか」として記載されていた.隣接する地域では,カモシカのことを「いわしか」と呼んでいるため,これの訛りの可能性があるため,分布情報として図に載せた.


カラスバト Columba janthina

 黒鳩と記載されていたものをカラスバトと比定した.海岸近くの常緑広葉樹林に生息する.産物帳でも海岸に面した地域での記載が多い.近年減少したといわれ,産物帳で記載のある東海地方においては,第2回自然環境保全基礎調査では生息が確認されなかった.


オオカミ Canis lupus

 かつては,図にみる通り,北海道から九州まで広く分布していた.ヤマイヌとの混同があるかと懸念されたが,両者を区別している(同じ地域てオオカミとヤマイヌと両方記載されている)地域が多いため,一応区別されているものと判断した.図で◎と記されている地域は,オオカミとヤマイヌの両者の記載があったところを表す.


カワウソ Lutra lutra

 現在,四国南西端の極く限定された地域にしか生息していないカワウソも,250年前には壱岐,対馬の島嶼を含む全国に分布していた.個体数・分布域の減少の原因は,毛皮が珍重されたための乱獲と,河川の汚染・河川改修(護岸工事など)のため生息地がなくなったため,とされている.「本草綱目啓蒙」に,当時も毛皮が珍重されていた,と記されている.


アシカ Zalophus californianus

 現在,日本近辺では絶滅したとされる.終戦前には島根県竹島の生息地が著名であった.戦後絶滅する前には,太平洋側は和歌山県まで,日本海側は島根県まで出現した.産物帳の1730年代には,瀬戸内海でみられていたことは興味深い.二国(周防,備前・備中)の産物帳に記載されていたことから,情報の信頼性は高いと考えられる.この記載は、「海獺」となっており、「本草網目啓蒙」によれば,アシカとされる.当時は能登で捕られ,油を生産したという.


コウノトリ Cionia cionia

 現在では,稀に渡来するだけとなってしまったコウノトリも最近まで福井,兵庫の両県で繁殖していた.産物帳の時代には東北以南の各地で見られていた.日本画によく見られる,松にとまっているツルの絵はコウノトリを描いたものである(ツルは木にとまらない).「本草綱目啓蒙」には,尾が黒く見えるがこれは尾ではなく,翼の黒羽のためにそう見える,と記載されており,観察の確かなところを見せている.


ヘラサギ Platalea leucorodia

 現在は稀な冬鳥として少数渡来するのみであるが,産物帳の記載では東北地方から九州までの各地で見られていた.産物帳では「箆鷺」,「ゑびすくい」などと記載されている.


ガン類 Anser spp. Branta spp.

 ガン類として,マガン(Anser albifrons),ヒシクイ(Anser fabalis)カリガネ(Anser erythropus)などをまとめて示した.現在は,宮城,新潟,石川,鳥取,島根の各県の主要渡来地に限って見られるが,産物帳の時代には全国で見られた.東京,大阪の大都市近郊にも最近まで渡来していた.ガンが渡来するような,人里近くの水辺環境の破壊は近年著しい.


ハクチョウ Cygnus spp.

 オオハクチョウとコハクチョウの区別は(単に「はくてう」と記載されている場合も多く)難しいため,ハクチョウとしてまとめて示した.現在も近畿以北の各地に渡来するが,伊豆沼や瓢湖などの主要渡来地以外では個体数はそれほど多くない.産物帳の記載で現在の分布と異なるのは,四国(阿波)の分布で注目に値する.


ツル類 Grus spp.

 現在は,タンチョウ(Grus japonensis)は北海道釧路湿原でのみ繁殖し,他のツル類は山口,鹿児島両県の渡来地でのみ見られる.産物帳の時代は,中部地方を除く各地で見られた.大型の水鳥の渡来地・生息地は,この250年間に大幅に減少したものと考えられる.


ジャコウネズミ Suncus murinus

 現在分布が確認されているのは,九州(長崎県,鹿児島県),五島列島,南西諸島である.これらは船舶による移入種と推定されている.産物帳には,■■の字を使い,出羽では「つらねこ」,「つらね],筑前では「七郎ねずみ」と記している.また,対馬では「じゃこうねずみ」としている.本草綱目啓蒙の説明は,「互いに尾をくわえて連なって移動する」,「無目黒色穿土」,「身臭雖猫犬亦不食之」となっており,ジャコウネズミの習性,特徴と一致している.産物帳の当時日本海は「北前船」などの主要交通路であったため,ジャコウネズミが船舶とともに分布を広げた可能性がある.その後,出羽,対馬では定着しなかったか,絶滅したと考えられる.


ホンドイタチ Mustela itatsi

 産物帳の記載は全国にわたって認められた.現在も全国に分布している.尚,対馬のものはチョウセンイタチMustela sibiricaである.

 佐渡では,現在分布しているものは移入されたものとされている.ネズミによる林業被害防除のためのイタチ放獣は大正年間から始まっているため,佐渡のイタチは,いったん絶滅して,その後,他地域から移入されたことになる.詳しい調査が待たれる.

 

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