V.考 察

 

 日本に生息する蛾類は1989年時で4,896種*であり、そのうち今回は大型ガ類の中から、ヤママユガ科、スズメガ科およびヤガ科のうちの主にCatocala属を対象に調査を行った。これらの群はいずれも同定が容易で、およそ国内の分布パターンが判明しているものである。なお、注目種としてレッドデータブック掲載種の数種の情報も収集した。

 

(1)ヤママユガ科

日本産のヤママユガ科12種のうちサクサンは中国原産の移入種で地域的に野外で極く僅か放飼されている程度のものであり、本調査では情報が得られていない。

本調査では、この種を除く11種すべての情報が集められている。このうち、ヨナグニサンがこれまで与那国島、西表島、石垣島の3島から、ハグルマヤママユが奄美大島および沖縄本島から記録されているという局部的分布を示す種である。しかし、今回はこの両種とも各1地点の分布情報しか得られていない。

そのほかの、9種は北海道、本州、四国、九州に広く分布する種である。全国的な規模での分布パターンでは、本来大きな傾向がみられない種であるが、クスサン、オオミズアオ以外の種は、近年都市部、住宅地等からは姿を消しつつある種である。なお、この中で興味深い種としては、高山や北方に偏りが見られるクロウスタビガが、実際にどのような分布の偏りを示すかという点、そして、ハンノキをホストとする狭食性のオナガミスアオが、近縁で広食性のオオミズアオと比べてどのように局所的な分布を示すかという点である。

 

(2)スズメガ科

スズメガ科は全体として、前半のエビガラスズメからエゾスズメまでのスズメガ亜科の種が、ホストや生息地に定着性があり分布の偏りが顕著であるという傾向がある。それに対し、後半のスキバホウジャクからミスジビロードスズメまでのホウジャク亜科の種は移動性が強いものが多く、いくつかの偶産種を含んでいる。

スズメガ亜科の種は、全体に広域分布をする種が多く、石垣島、西表島のタイワンサザナミスズメなど局所的に分布する種を除けば、全国的には分部地点が広範囲にわたるという種である。このうち、クロメンガタスズメ、メンガタスズメおよびオオシモフリスズメは西日本に偏って分布を示し、ヒメサザナミスズメ、クロテンケンモンスズメおよびヒメクチバスズメは山地性で西日本では山地域に限って見られ、全体的には中部から東日本に分布が偏っている。この後者の傾向が最も顕著な種は北方系のノコギリスズメである。

なお、近年、コエビガラスズメと呼ばれていたものに2種が含まれており、北海道のものがエゾコエビガラスズメとして、本州以南のものと区別された。マツクロスズメ、クロスズメ、オビグロスズメのクロスズメ属Hyloicus3種は、これまでの記録で混同されている場合があり、とくに北海道でより正確に同定した上で分布状況を調べる必要がある群である。

ホウジャク亜科41種のうち、今回の調査で情報の得られなかった9種を含む20種、約半数が南西諸島を中心に分布が確認されている南方系の種である。このうちの多くは他国より偶産種として飛来しているものである。これらの中にはキョウチクトウスズメのように数年定着したものもあるが、多くの種は土着するに至っていない。この傾向の特徴的なものは、ホウジャク類とオオスカシバである。この種は、普通種でよく見かける種であるが、年間通して定着している範囲は、見かけ上の分布範囲よりも大きく南に偏っている。すなわち、一過性で秋にのみ出現する範囲が分布図のより北方全体に及んでいるという現象である。このような種では、確認された季節の情報が重要となる。

また、今回の調査で収集された情報の全体的な傾向としてはホウジャク類の多くの種のように日中活動し、夜間灯火に飛来する習性のない種は情報が集まっていない。

 

(3)Catocala属とアマミキシタバ

この群は、すべて年1化性で卵越冬である。ブナ科植物中心にバラ科、マメ科、ヤナギ科など、種毎に特定の植物種をホストとしている狭食性を示すものがほとんどである。さらに個々の種が個性的な環境に対応した形で分布パターンを現すものである。個々のニッチにも違いがみられ、日本列島の多様な自然環境を指標するのに適している。

比較的広域に分布する種としては、オニベニシタバ、ワモンキシタバ、マメキシタバ、コシロシタバ、キシタバ、コガタキシタバ、ジョナスキシタバなどである。北方に偏った分布を示すものにオオシロシタバ、ムラサキシタバ、エゾベニシタバなどがある。また、局所的に分布する種に蛇紋岩地帯のシモツケ生育地に限って分布するアズミキシタバ、石灰岩地帯のシモツケ生育地に限って分布するナマリキシタバのほか、ごく限られた地点からのみ記録されているヤクシマヒメキシタバなどがある。

基本的にはどの種も識別が容易であるが、種の同定に混乱があるとすれば、ゴマシオキシタバの情報の中にヨシノキシタバが混同されて混じってしまっている可能性であろう。

 

(4)情報の収集状況

ガの分布情報は他の昆虫類のように、各地で確実に分布の調査地点を増やしていくということは難しい。ガ類の調査は、ほとんどの場合、夜間の灯火採集調査によるものである。すなわち、山荘や山野内で光源を設置し光に誘引されて集まるガを採集する際に得られる情報が情報源になっているのである。したがって、チョウやトンボのように移動しながらの目撃確認により一度に何ヶ所もの情報を得ることや甲虫のオサムシ類のようにトラップの設置により県内の各地での確認地点数を増やしていくことも難しい。また、種によっては夜間光に飛来する時間帯が限られており、ノコギリスズメのように深夜以降でないと飛来しない習性を持つ種などがある。すなわち、一晩中徹夜で調査を続けないと確認できないという種もある。

このように、ガ類については、他の昆虫とは異なった調査事情があり、ある程度以上に分布の確認地点を増やしていくことがそもそも困難である。したがって、日本全国的なレベルで比較的均一に分布情報が得られた時点、すなわち、各県で数カ所の分布地点があるという状態をもって、調査の成果とすべきものであろう。

この視点から、これまでの分布記録がまとめられている主な地域毎に見て行くと次のようになる。

今回の調査で情報がとくに少なかった東日本の福島、茨城、千葉、近畿の京都、大阪、兵庫、四国の愛媛、九州の宮崎、鹿児島本土などは、これまで県単位でまとめられた報告がなかった地域である。島嶼では種子島、徳之島、沖永良部島、与論島および久米島などの沖縄周辺諸島、宮古島などにも報告がない。一方、岩手は空白、宮城、新潟、福井、和歌山および佐渡などでは、本調査では空白が多いもののガ類のまとまった報告が出ているので、再度情報収集の努力が必要であろう。

 

(5)今後の調査の課題

今後、さらに分布情報を収集する場合は、ガ類という昆虫群が各地域をくまなく調べるような形での調査が困難な状況であることから、まず第一にガ類のまとまった報告すらないという空白地域の現地調査と報告のある地域での情報収集など、的を絞った形での集中調査を進めることが必要であろう。その際先に示した既にまとめられている文献情報がある地域についての徹底調査と、特にタイプロカリティ、北限や南限など重要分布についても積極的に情報の収集をすべきである。

第二に、その次の段階で、上記の文献調査を行ったとしても生じてしまうという空白地域を明確にした上での情報発掘調査である。これは、さらに絞り込んだ上でガ類の研究者や博物館、大学の研究室にある標本などの情報を収集することになろう。

また、これまでのガ類の研究者などが通常調査をする場所が決ってしまい、新たな分布情報の収集地点数を増やしていくことができないという条件下では、普段は調査されないような場での分布情報を集めている、環境アセスメント等の情報収集を試みるという方向もある。

なお、ハグルマヤママユ、アズミキシタバ、ミツモンケンモンなど、レッドデータブック掲載種等については、既存の文献からの情報や一般のガ類研究者からの情報収集という受身の調査から、積極的な現地調査による分布の確認というものも、本調査と平行して行う必要があるであろう。

(杉  繁郎)

 

*)九州大学農学部昆虫学教室・日本野生生物研究センター、l989.日本産昆虫総目録.

 

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