2.1.10 過去における鳥獣分布調査

 


●調査目的

 
  動物の分布は、自然条件と人間活動との相互作用の歴史的過程において変動するもので
 ある。自然環境保全基礎調査の動物分布調査によって、動物の今日的な実態は明らかに
 されつつあるが、オオカミやトキのように既に絶滅したり、絶滅に瀕しているものもあ
 る。かつて、これらの動物がどこに分布し、何が引き金となってどのように減少したの
 かという、いわば種の絶滅や減少の過程・メカニズムを解明することができれば、今後
 の野生生物の保護・管理に有益な情報と思われる。
 本調査は以上のような認識に立って、過去の動物の 分布の概略を明らかにすることによ
 って、現代の分布の歴史的形成過程及び歴史的意味を解明する手がか りを得、もって自
 然環境保全施策に資することを目的とした。

●調査実施者

 (財)日本野生生物研究センターに委託して実施したが、基本的な検討については、古
  文書、科学史、民俗学、動物学、書誌学の専門家で構成される専門委員会(巻末資料参
  照)で検討され、同センターがとりまとめにあたった。

●調査対象地域

 全国。

●調査実施期間

昭和60年度及び61年度。

●調査内容

  これまで過去の動植物についての知見は乏しく、本調査に当たっては、過去の分布情報
  を記録した文献に関する調査、解読する技術の検討から始める必要があった。
  本調査ではまず、過去における動植物分布情報に関しての情報源情報の調査及び解析手
  法の検討など、近代自然科学の成立以前の文献から分布図を復元する基礎的な方法論及
  び問題点の整理を行い、その後、その基礎の上に立って、享保・元文諸国産物帳(以下
  「産物帳」という)等から、1730年代の鳥類と獣類の分布図を作成した。

●調査方法

 <基礎的な調査・検討>

  当時の分布を明らかにするためには、以下の4種の文献がそろうことが必要である。
  ○分布情報を得るための文献
  ○地方名や漢名を読みかえる文献
  ○今日の動植物の何に相当するのかを検証するための文献
  ○分布情報を面的に展開する基図作成のための当時の地域区分に関する文献
  これらを満たす文献がそろうのは、物産、本草、博物学の発達した江戸時代以降であり、
  また、地方名や漢名の読みかえ、及び今日の動物の何に相当するか検証するための文献
  としては、水谷豊文「物品識名」 、畔田翠山「古名録」 及び小野蘭山「本草綱目啓蒙」
  等本草学の文献が有効である。
  さらに地域区分に関しては、歴史地理学の成果が活用できる。

 <問題点>

  ○混同の見られる種のグループがあり、呼称の整理には注意を要する。
   (例)タヌキとアナグマは姿が類似しているため、各地で混同がみられること。また、
      タヌキもアナグマも地方によりムジナと呼ばれることがあること。さらには、
      タヌキを捕獲した時期によりタヌキと呼んだりムジナと呼んだり使い分ける地
      方があること。
  ○過去と現在の種の対応は、必ずしも1対1ではな.いようであり、注意を要する。
  ○地名においては、名称そのものと同時に、その地名の示す地理的対象範囲が問題とな
    り、地図上に境界を示し得るのは、国、郡、郷までであり、村界を地図上に示すこと
    は不可能である。

●分布図の作成等作業手順

  産物帳に記載された動植物の地方名を当時の標準的な名称に読み替えること、及び当時
  の標準的な名称が今日のどの動植物に該当するかを決定する作業を行って、獣類13枚、
  鳥類17枚の分布図を作成した。なお、分布図の作成にあたっては、産物帳と同時代の物
  産、地誌の文献を補足的に用いた。
 
  ○基本文献
  <国別獣名一覧表作成のための基本文献>
  以下の産物帳41件、その他4件の文献(*)を用いて作成した。
 
  陸奥国南部領             美濃国
  陸奥国田村郡三春          尾張国
  出羽国庄内領             近江国
  出羽国米沢領             和泉国
  常陸国                  紀伊国
  下野国芳賀郡竹原村・飯貝村    隠岐国
  下野国河内郡高林新田村      出雲国
  下野国河内郡岡本村         播磨国網干領
  下野国河内郡下反村最寄      備前・備中国
  佐渡国                  周防国
  越後国蒲原郡小川庄         長門国
  越中国                  壱岐国
  能登国                  対馬国
  加賀国                  筑前国
  越前国福井領              肥前国
  信濃国高遠領              豊後国
  信濃国筑摩郡              肥後国
  駿河国駿東郡御厨領          日向国諸県郡
  伊豆国
  伊豆七島                 蝦夷(松前領)「松前志」(*)
  遠江国懸河領              伊豆七島「豆州諸国物産」(*)
  三河国加茂郡              備後・安芸国「芸藩通志」(*)
  飛騨国                   阿波国「阿淡産志」(*)

 <国別鳥名一覧表作成のための基本文献>

  以下の産物帳47件、その他10件の文献(*)を用いて作成した。

  蝦夷国松前領      飛騨国            日向国諸県郡
  陸奥国南部領      美濃国            大隅国
  陸奥国田村郡三春   尾張国            薩摩国
  出羽国庄内領      伊賀国
  出羽国米沢領      近江国高島郡・蒲生郡   東蝦夷「東蝦夷物産志稿」(*)
  常陸国水戸領      河内国            磐城国「磐城風土記」(*)
  下野国河内郡      和泉国岸和田領      武蔵国(江戸周辺)(*)
   武蔵国多摩郡      紀伊国                「徳川実記」(*)
   武蔵国川越領      播磨国網干領           「武江物産志(*)」
   佐渡国           隠岐国           小笠原島「小笠原嶋風土略記」(*)
   越後国蒲原郡滝谷村  出雲国           山城国「擁州府志」(*)
   越中国           備前・備中国岡山領    大和国吉野郡
   能登国           備後・安芸国            「和州吉野郡中物産志」(*)
   加賀国           周防国            紀伊国熊野 「熊野物産初志」(*)
   越前国福井領       長門国            阿波淡路 「阿淡産誌」(*)
   信濃国高遠領       伊予国越智島        琉球   「南島志」(*)
   信濃国筑摩郡       対馬国
  
   駿河国駿東郡御厨領  壱岐国
   伊豆国            筑前国
   伊豆七島          肥前国
   遠江国懸河頭       豊後国
   三河国加茂郡       肥後国(熊本領、球磨郡)

  <獣類名称検索一覧表作成のための基本文献>

   「大和本草」    柏原篤信(益軒)著 1709
   「本草綱目啓蒙」  小野蘭山述 小野職孝・岡村春益編 1803
   「物品識名」    岡燐清達稿、水谷豊文補・編 1809
   「古名録」     畔田伴存(翠山)1843
   「物額称呼」    越谷吾山(秀真)編1775
   「分類山村語案集」 柳田国男・倉田一郎 共編 信濃教育会刊 1941

  <鳥類名称検索一覧表作成のための基本文献>

   「大和本草」
   「本草綱目啓蒙」

  <地名資料>

   「産物帳」の成立年代は江戸中期であるが、基図は他のデータとの照合の都合を考慮
   し、藩政期末期の国境を用いた。従って、産物帳成立の年代と若干異なる境界がある
   (例:陸奥国)。