2−7 動物分布調査(昆虫類)

 

1.調査の目的と方法

(1)調査の目的

動物分布調査の一環として行われた昆虫類分布調査は、表2−7−1に掲げた10種の「指標昆虫類」と表2−7−2に掲げた基準によって都道府県毎に選定した「特定昆虫類」について、生息地の位置、生息環境と生息状況の概況、保護の現状を調査したものである。

「指標昆虫類分布調査」は、我が国に生息する10万種以上の昆虫類のうち、分布域が広く、比較的馴染みがあり、かつ全体として山地から平地までの良好な自然環境の指標となる昆虫を指定し、すべての都道府県において上記の項目が調査された。

本調査の対象種の生息環境は、山地から平地に至るまでの汚濁や改変が進んでいない水環境(渓流、小川、湿地、池沼)や自然林や二次林などで(表2−7−3)、これらは人間の生活域の中にみられる良好な自然環境、いわゆる里山・田園的自然の代表的要素とみなしうるものである。

したがって、本調査の実施によって、対象種の分布状況の把握が可能となるほか、良好な自然環境の全国的な状況をもある程度把握することができると予測された。

「特定昆虫類分布調査」は、調査方法等は指標昆虫類調査と同一であるが、調査対象種は予め定められておらず、各都道府県で50〜100種を選定し、これらを対象に行われた。

選定基準が的確に適用されれば、絶滅の危険性の程度や学術上の重要性等の観点から、種の位置づけがおのずから明らかとなり、環境保全の諸施策の中に、昆虫類の保護をも取入れる可能性が生じてこよう。

(2)調査の内容と方法

本調査の調査事項は、生息地の位置、生息環境、生息状況の概要、保護の現状等である。

調査は日本昆虫学会の協力を得て、会員が既存資料を中心とし、必要のある場合には現地調査、聞込みなどにより、可能な範囲で知見を収集した。

「生息地の位置」は国土地理院発行の20万分の1地勢図にくくり線で表示し、生息地が小さい場合は小黒丸で表示した。

「生息環境の現状」は、生息地ごとの生息環境の現状について、次表の基準のいずれの区分に該当するかを調査した。

良好

生息環境が良好に保たれている。

不良

生息環境が改変されつつある。

破壊

生息環境が破壊されて、当該昆虫が生息できなくなっている。

「生息数」は、当該生息地における当該種の生息状況をおおまかに判断して、次表に示す区分のいずれに該当するか判定し、対応する記号で表した。

いなくなった

ま れ

++

少ない

+++

比較的普通に見られる

++++

多い

なお、文献や聞き込み等で生息するという情報があった場合でも、現時点において、そこには生息しないと調査者が判断した場合、また再調査を必要とすると判断した場合にはその旨明記された。

古い記録で、産地が明瞭でないもの、例えば漠然とした地名や俗称が用いられている場合には、地勢図上に生息地を示すことは行われていない。

調査結果は分布図と調査票に分けて記録され、分布図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図に、指標昆虫と特定昆虫に分けて表示された。ただし、生息地が公表されると乱獲の恐れがある種については、調査者の判断により、記載されていない場合もある。

調査票は都道府県別にまとめられ、地域ごとの概説を付して報告書として印刷された。

(3)情報処理の内容と方法

昆虫類の分布状況を全国的視野で把握することを目的として、原データの記載情報の磁気テープ化作業と、指標昆虫についての分布メッシュ図の作成、電算機を使用した生息状況等の集計解析を行った。

ア.磁気テープ入力作業

今回の調査は情報数が多く、その内容も分布原図と調査票の2つに分かれていたため、集計・解析に当たっては両者の照合が必要であり、手計算では多大な労力を必要とすること、さらに資料の保存上の利点を考慮して、情報内容の磁気テ−プ入力化を行なった。

入力に当たっては、調査票内容、分布原図記載内容を可能な限り正確に入力するよう努めた。特に分布原図内容の入力に当たってはできるだけ小さな単位で入力すること、集計・解析にあたって他の関連情報とのすり合せが可能であること等を考慮して基準メッシュ(三次メッシュ)を単位として入力した。

入力は分布図情報と調査票情報をそれぞれ別々に行い、電算機処理によって2つの情報を統合したファイルを作成した。

イ.集計分析作業

本調査の場合、対象とした種が合計1,764種の多数にのぼり、多くの県で共通して調査された種が非常に少なかったことから、上記の方法によって作成された磁気テープを用いての集計は、全国共通に調査された指標昆虫10種を中心に行い、分布図の作成も指標昆虫のみに止めた(付表1及び図2−7−1〜10)。

特定昆虫類については、専門委員会が設置され、和名、学名の検討や選定基準の適合性の検討が行われた。

 

2.指標昆虫類種類別解説

 

 昆虫類分布調査において指標昆虫類として選定され、全国分布調査が実施された10種の昆虫について、生活史及び指標性、分布状況や人為的影響の種類と程度などを中心に解説した。

 本文は、第2回自然環境保全基礎調査、動物分布調査報告書(昆虫類)全国版にまとめられた専門研究者による種別解説より、必要部分を抜粋し再編集したものである。

 

1)ムカシトンボ Epiophlebia superstes

ムカシトンボ類は蜻蛉類中最も特異な昆虫で、中生代に生息したムカシトンボ亜目の遺存種と考えられ、現世ではヒマラヤ地方に1種、日本列島に1種を産するだけで、系統学上からも重要な昆虫である。しかし我が国では北海道から九州まで離島を除き(隠岐は例外)4大島には各所に分布し、特定の環境を代表するので指標昆虫として適当であると考えられる。

成虫は春期出現する。南日本では3月末から5月まで、北日本では5・6月がその期節で、羽化後1〜2週間は幼虫の生息地であった山間の渓谷に於て摂食に過し、成熟すれば雄は同じ渓谷の細い渓流に沿って、下流より上流へと飛翔し、雌を求める。雌を得た雄は樹上に静止して交尾を行うが、分離の後に雌は単独で産卵行動に入る。卵は渓流の縁に生じているフキ・ワサビその他の柔軟な葉柄・茎を持つ植物の組織の中に産み込み卵は20℃では約30日位の胚子発育の後に孵化し、幼虫は肉食を行うが、水中の石の間に生活し、約13回の脱皮をを行って成長する。その全成長期間は明確に知られていないが、恐らく5年以上7〜8年までと考えられている。生育のためには清澄・低温の流れを必要とし、成熟幼虫は羽化期の前、恐らく1〜2ヶ月前と想像されるが、流れを離れて付近の岩礫の下などに入り羽化を待つ。この間は水中呼吸から空気呼吸へ移り変わるものと思われる。羽化は近傍の地物(岩石・樹幹など)に登って、体位を水平面に対し110℃〜135℃の角度の倒垂型として脱皮する。

本種は分類学的にも形態学的にも特異の昆虫であるのみならず、識別も容易で、旦つ全国的に分布するので指標昆虫として極めて適している。更に成虫にも幼虫にも著しく限られた独特の環境、即ち樹木に覆われた急斜面のあるせまい渓谷の清例な流水とその上方の空間に生息して、然も本種が生存をつづけるためには一世代7−8年を要することから、長年月に亘って一定環境が保全されることを条件とする。換言すればよく自然の保存された山間渓流の生物の代表となっているのである。本種はいずれかと云えば低山地性の種で、海抜100m位から1000m位までの間に見られる。尾瀬ケ原近傍の産地1500m内外はむしろ例外的な分布と云えよう。

今回の全国調査によって、本種は全国47都道府県のうち3県(宮城・千葉・沖縄)を除いた44府県から記録された。沖縄には地理的・地質的・気候的にも生息しないことが了解できるが、宮城県では今後も調査を試みるべきであろう。千葉県は開発の進んでいることを別としても、ムカシトンボの生存を許すに十分な環境の欠けた低山地しかないことより見て、今後も発見の見込みがないように考えられる。

 

2)ムカシヤンマ Tanypteryx pryeri

この類のトンボは日本ではムカシヤンマ1種だけを産するが、現在世界で北米・チリー・オーストラリア及びニュージーランドに合計5属10種を産するだけで、不均翅亜目の中で最も原子的な形態と特異な生態を示し、遺存生物の一つである。今回、北海道・千葉・島根及び四国の4県と長崎・沖縄を除いた36府県から記録されたが、島根県よりは再調査を必要とするため絶滅種に入れられている。

成虫は5・6月に現れるが、東北地方や長野県ではおくれて7月末から8月はじめまで見られる。成虫がムカシトンボと共に見られることもあるが、低山地の傍の道路上などをゆっくり飛翔し、翅をひらいて樹幹上、板上、葉上、道路上、時には人の肩などにもとまる。小虫を捕食しているが、大型で静止し易いので発見容易である。

産卵は崖下の滲出水のある湿地の水苔・土砂などに単独の雌が尾端を挿入して行い、幼虫はこのような場所の土砂中或いは水苔の下のくぼみなどに潜んでいる。土質が軟い場合には湿土中にカニの孔のようなトンネルを穿ち、その入口に頭部を外に向けて座り、通過する他の小動物を捕えて食べる。ムカシトンボのように清い急流中に生息するのではないが、滲出水は汚染されてはならない。幼虫の齢期及び幼虫期間の長さは正確には調べられていないが、恐らく成熟するまでに4〜5年を要して、12〜13回の脱皮を行うものであろう。

成熟幼虫は低地では4月下旬から5月上旬に湿地の草などにとまって羽化する。多産地の湿地では多数の脱皮殻が低い植物体についているのを見ることができる。

本種も低山地種で、尾瀬三平峠1700mを最高とし、又移動をほとんど行わないと見られている。

本種は低山地の谷間に限られた分布をする蜻蛉でムカシトンボよりも人家に近い地域、道路沿いの場所で見られることが多い。このような地域はむしろ限られており、ムカシトンボよりも生息地は限定されていると見るべきである。本種は汚染されない小さな谷間の指標昆虫として適当であると思われる。

今回の調査で36府県より挙げられたが、それ以外、島根県よりの標本も得られているので37府県に分布すると云える。産地としてはムカシトンボに比べて遥かに少ないが、今回の調査報告を見ると、特に本州中部以北に於ては本種の従来未報告の生息地が少なからず発見され、産地記録が増加しつつある印象をうけた。

本種は滲出水のある崖下を幼虫の生息地とするため、道路改修によって産地が消滅するおそれが極めて大きい。

 

3)ハッチョウトンボ Nannophya Pygmaea

この種類は微小で美しいトンボとして明治以前から我が国で知られていた。しかし日本特産種ではなく、南方アジアに広く分布し、東南限はニューギニアに至る。日本はその分布北限にあたるが、青森県を北限とし、今回の調査では千葉・神奈川・山梨・大分・沖縄を除いた41県が挙げられた。しかし東京都と埼玉県よりは絶滅種とされた。本種は微小で、湿原に於て発見し易いために指標昆虫としては適当である。

本種は5月から8月に亘る季節に、本州・四国・九州の滲出水のある水苔湿原に於ては各地で発見されており、低地種と見るべき昆虫であるが、尾瀬ケ原を最高産地として各地の山間の湿原にも分布している。

成虫は水域をほとんど離れず、小さい縄張りを作って雌を待ち、交尾時間は1分位、雌は単独で縄張り内の浅い水たまりに産卵する。それまで交尾していた雄が付近に静止していることも多い。

幼虫もこのような水域から発見されるが、幼虫期間は低地では1.2年、高地では2.3年を要するものと想像される。

本種は日本の低地及び低山地の水苔湿原の代表的昆虫で、食虫植物と共存することが多く、これらの一時的でない特殊な自然環境のよい表徴となるものである。

今回の調査に於ては北海道・千葉・神奈川・山梨・高知・大分・沖縄の諸県からの報告を欠いており、東京都・埼玉県より絶滅の扱いになっている。曽って低地の湿原が存在した時代には北海道を除いて全府県に分布していたものであろう。

本種の生息地は常に低地の湿原に限られていることから、集落周辺では常に開墾と土地の造成・農薬撤布の危険に迫られている。

本種は成虫の移動力弱く、全生活環を通じ広大な生息圏を必要としないので、比較的小面積の保護によっても絶滅は避け得られるであろうと思われる。

 

4)ガロアムシ目 NOTOPTERA

ガロアムシ類は、採集される個体数が少なく、特に分類に重要とされる雄の成虫が研究者の手もとになかなか集まらないため、分類があまり進展しないグループである。現在までのところ、ガロアムシGalloisiana nipponensisのほか、ヒメガロアムシG.yuasai、オオガロアムシG.kiyosawai、エゾガロアムシG.yezoensis、および香川県女木島産のG.chujoi(チュウジョウムシという呼び名もあるが適当と思えないので用いない)の5種が知られ、長崎県からは幼虫で記載されたものがあるが、今のところ疑問種として扱われている。これらに加え、各地からこれらをつなぐ未記載種も得られている。しかしながら、これらの既知種・未記載種の識別は、専門に研究する者でなくてはできないほど困雑なので、ここでは日本のガロアムシ類全体をひとつの種のような形にしてとらえ、調査を実施した。

このガロアムシ目の昆虫は、日本のほかに大陸側の朝鮮半島から沿海州にかけて分布しており、一方北アメリカの北側山地にも分布しているという特異な分布様式をもち、またその形態的生態的な点から氷期遺存種群と考えられている。実際、その形態は一見して原始的な昆虫のそれを思わせるものがある。

ガロアムシ類には、地表性の種と洞窟性の種があり、前者では海岸近くから高山にいたるまでの森林中の湿った落葉下や土中あるいは石下などに主としてすみ、また高山のガレ場の岩石下、高山草原の浮石下などにもみられる。一方、後者の洞窟性の種は、洞窟内であることが変っている他は、湿った土地や石下などにおり、生息場所の状況は酷似している。稀に人工洞からも見つかることがあるものの、まったく自然のままに残されてきた地域に見られることが多く、このような意味で、自然環境、とくに高山地、山地や平地の原生樹林、自然洞などの環境の指標としてはきわめてすぐれており、今回ここにとりあげられたものである。ただし、実際にはこの虫がその生息環境上大変眼につきにくいことと、一般にこの類の知識が普及していないので、調査にはやや困難がつきまとうのが、欠点といえばいえよう。

ガロアムシ類は、いずれも肉食性で、同じような環境下にすむコムシやトビムシ、また小昆虫の幼虫などを食べているものと考えられる。生活史については、現在調査中であるが、ガロアムシに限っていえば、卵から成虫になるまでにおよそ7年内外を要するものと推測されている。

今回報告のあった県は、北海道・本州・四国の34県、それに九洲からは長崎県からだけ報告があった。九州・沖縄地方を除いて、報告のなかった県は5県、すなわち秋田県・千葉県・神奈川県・富山県・島根県である。

ガロアムシ類の分類の記録は、あまり目立たない虫であることもあって、全県的に乏しいが、未記録のものを加えると、前記の報告のなかった県のうち、千葉県をのぞいた残りすべての県に分布しており、しかも九州では鹿児島までほぼ全県的に分布している。ただし九州の場合には佐賀県の生息については確認されていない。いずれ千葉・佐賀両県でも発見される可能性はあるので、種子島以南の地は別としで、ガロアムシ類は日本列島に広く分布しているといえよう。なお、報告のなかった島根県からは調査後ひとつの産地が確かめられたことをつけ加えておく。

生息環境の現状はおおむね良好であるが、栃木県のように34の分布地のうち15か所まで環境が不良になっているところもある。そのほか青森県では10か所の分布のうち、いずれも不良か破壊の場所になっており、東京都や山梨県・岡山県でも少ない分布がいずれも不良環境になってしまっている。

環境悪化の原因は、森林伐採によるものが青森県と茨城県から報告されている。森林伐採は、地面が陽地化、すなわち乾燥化し、そうした場所にはこの虫はまったく住めない。また悪化の原因として観光開発をあげたものが岐阜県と岡山県から報告され、宅地または建物造成によるものが宮城県から報告されている。いずれにせよ土地利用の変化には、この虫は極度に弱いといえよう。今のところ悪化要因のうち化学的汚染によるものは報告されていない。

ガロア虫類の多くは、国立公園、国定公園、県立自然公園内に分布するので、地域的にはある程度保護されている。

 

5)タガメ Lethocerus deyrollei

多くの水生カメムシと同様に成虫で越冬し、初夏の頃産卵する。100余りの卵を水面上に挺出した水草の茎のまわりにくっつけて産む。水位の上昇で卵塊は水没するが、ふだんは水面上に現われている。2週間後で孵化、幼虫期間は不明であるが1月半ぐらい必要であろう。若い幼虫は水面に出ないが、成虫は水草間の水面に浮んでいることが多い。成虫はとくに電灯に飛来する性質が強く、古くからelectric light bugの名が使われているほどである。

生息地はヨシやガマなどの繁茂した浅い水域の部分で、水が更新される池沼や水田、また河川の緩流部である。そのような場所は餌となる動物も豊富である。いわゆる富栄養型の水域を好み、清流や貧栄養型の水域には住まないし、また非調和型の池沼にも見られない。現在生息地が確認されている水域は、北は日本海側の秋田市から、太平洋側では一関市から、南は宮崎市に到る範囲である。その間に発見できなくなった県が不連続的に存在する。東京、新潟、石川、岐阜、香川、愛媛、高知、福岡、長崎の9県である。確認されていても生息地が局限されている県を合せて考えると、中部地方に南北に連らなる広い帯状の無生息地帯のあることがわかる。本州におけるタガメの分布はこの地帯をはさんで東西に分離された状態になっている。また四国の一部と九州の一部に分布が見られる。本州東部地区は東北地方の東南部、関東地方と長野、山梨の一部を加えた範囲で、日本海側にほとんど分布が認められなくなっている。本州西部地区は北陸の西部、静岡西端以西の東海と近畿地方及び中国地方を含み、日本海側に比較的分布密度が高いことが特色である。四国では徳島だけ、九州では佐賀から宮崎にかけての狭い帯状の部分に僅かに分布しているに過ぎない。

調査の不充分な時点での結果であるから、将来修正が必要であろうが、多数生息していると報告されている県は鳥取(主に西部)だけで、これについて山口、千葉、群馬の各県が比較的多く本種が生息している県として挙げられる。

数県にわたって生息地が比較的多く集っている地域として栃木、茨城、福島および三重、滋賀、奈良北部、京都、京都に近い部分の大阪、兵庫の2地域を考えることができる。長野、岩手、宮城、秋田、福井、愛知、島根、広島は生息少の地点の存在が報告されている。大阪北部で若干増加の傾向が認められる生息地が報告されていることは注目すべきことだろう。

生息環境の状態−良好な環境のある県は18、不良な環境の存在する県は26で、ともかくタガメが生息できると思われる環境の見られる県は34である。

生息地の全部または一部が破壊されている県は19あるが、数は少くても県下すべての生息地が破壊されているのが青森、東京、石川、愛媛、鹿児島、沖縄の6県である。

環境悪化の要因−今回の調査によれば、土地利用による生活環境の悪化または破壊は、道路建設(青森1破壊)、建物・住宅造成(岩手1破壊、神奈川4うち2破壊、沖縄2破壊)、その他の土地利用(群馬3、富山3破壊)となっており、薬剤撒布による生息数の減少あるいは絶滅(山口57、栃木17、福岡8絶滅、広島5、山形4、香川3絶滅、島根3、奈良2絶滅、富山1、滋賀1絶滅)および河川の汚染による減少(徳島1)が報告されている。この結果からわかるように水田その他への薬剤撒布が生息数の減少または絶滅の主因であろう。生息地の物理的消滅は直ちに絶滅へと連なるが、地域的には比較的限定されている。化学物質による場合はその量や性質によって短期間で絶滅するか、減少をつづけながら絶滅への道をたどるかのちがいはあっても、その影響ははるかに広範囲におよぶ。また、直接生息環境の悪化といえないかも知れないが、強力な水銀灯が観光地(特に山地)や自動車道に設置されたことにより誘殺された数はおびただしいものであったろうと思われる。

以上のように本種はかっては全国的に普通に分布したが、全国の水田地帯への多量の農薬投与、広い果樹園地帯への殺虫剤使用の加重などが主因となって、全国的な密度低下が起こり生活排水による汚染がこれに追討ちをかけ、個体数の激滅、地域的な絶滅による分布地の分断や局地化が進み、現在では本州北部と中部地方、四国、九州の大部分で絶滅に近い状態を生じているのが現状であろう。

 

6)ハルゼミ Terpnosia vacua

本種は4月上旬ごろから、平地や低山帯の松林に出現し、多くは5月一杯で姿を消すが、山地等では、6月下旬まで生存するものがある。「ムゼームゼー」に近い、のんびりした声で鳴き、地方により「マツゼミ」、「マツムシ」等と呼ばれる周知の種である。本州、四国、九州、中国に分布し、多くの地方で普通種であるが、幼虫期の長さ等に関する資料はなく、生態的知見は比較的乏しい。

今回の調査で、北海道と沖縄県に本種の記録がないのは、予想された当然の結果ながら、本州でも、青森、秋田、岩手、山形、宮城の5県からは報告されず、分布しないか、少くともこの時点では未発見である。現在の北限は福島県で、平地ないし低山帯のアカマツ林で、市街化の進んでいない地域であれば、生息が認められるが、少ないと報告されている。南限の鹿児島県の報告では、九州本島内では、クロマツ、アカマツ、リュウキュウマツの林に比較的普通で、マツ林への農薬の空中散布が、本種にどのような影響を与えているかは不明としてある。本種が屋久島まで南下している可能性が強いが、現在、屋久島に産する記録はない。

本種の生存と繁殖のためには、松(アカマツ、クロマツ、リュウキュウマツ)の自然林が必要で、都市化が進むと共に生息地が狭められ、「松くい虫」による松枯れの見られる地方では、その拡大と共に、急激に個体数を減少し、すでにその鳴き声が全く絶えた地方も少なくない。

 

7)ギフチョウ Luehdorfia japonica

年1回の発生、成虫の出現期は関東以西の暖地では3月下旬から4月、分布の北限に近い地域や標高の高い場所では4月下旬から5月にかけて発生する。幼虫の食草はそれぞれの発生地に自生するカンアオイ類であるが、同一地域に複数種のカンアオイがある場合には、それぞれの種について選好性の違いがあることが知られている。また地域によってはウスバサイシンを食草とする。成虫の吸蜜植物はカタクリ、スミレ類、サクラ類、シヨウジヨウバカマ、ボケ、オオイワカガミ、ユキツバキなど。卵は食草の新芽裏面に数個ないし十数個がかためて産みつけられ、孵化した幼虫は若令の間は葉裏に集合し、摂食も集団をなして行なうが、中令以降は単独生活をを行ない晩春に蛹化、夏、秋、冬を蛹態で過ごし、翌早春に羽化出現の経過をとる。

ギフチョウの主な発生地は丘陵地〜低山地域のコナラ・クリ・クヌギなどの暖帯性落葉広葉樹林とその周辺で、早春に陽光が林床に達するような明るい雑木林である。地域によっては照葉樹林内あるいはその周辺の陽地、あるいは温帯性の落葉広葉樹林にも発生する。草原的環境には本種は発生しない。

東北地方の太平洋側地域には本種はまったく分布しないが、日本海側では新潟・山形県から海岸地帯に沿って北上し、秋田県最南端の由利海岸南部に達し、この地が本種の分布北限となる。関東地方でギフチョウが分布するのは神奈川県および東京都西部地区のみで、他の県下にはまったく分布しない。東京都八王子市高尾山から多摩丘陵にかけての一帯はかつては本種の産地として著名であったが、現在では八王子市長房町の林業試験場浅川実験林に僅かに存在しているほか、上記の全地域からほぼ完全に絶滅した。その原因は生息地の宅地化と開発による環境の悪化であり、とくに高尾山では業者・マニアによる乱獲の影響が大きいと言われている。富山・石川・福井の諸県下では丘陵地〜低山地のコナラの二次林を主産地として分布は広く個体数も多く、現在日本でもっとも豊富にギフチョウが見られる地域の一つである。

近畿・中国地方では、近江盆地周辺の山麓・山地帯とくに鈴鹿山脈山麓、鳥取・島根県下、丘陵地〜低山地などの豊富な産地も存在するが、大都市の周辺を中心に著しく数を減じた地域や絶滅した地域も相当数みられる。この原因としては、主として自然環境の破壊と乱獲にあるといわれている。

なお、山口県の山口市と萩市を結ぶ線が本種の分布の西限となる。四国・九州地方の古い時代に両地区から若干の不確実な記録があるが、その後の綿密な調査によっても本種はまったく発見されないので、本種はこの地域に分布しないと考えられる。

ギフチョウの主な産地は、丘陵地〜低山地の早春に陽光が林床にさしこむような明るい落葉樹の雑木林で、コナラ・クリ・クヌギなどの樹種を主とする林が多い。雑木林が伐採された後に植栽されたスギ・ヒノキの幼令林にもにも多く発生するが、これらが生育して林内に陽光がささぬようになると本種の発生は終息する。したがって適当に雑木林が択伐され、萌芽による二次林の形成が隔時的に行われるような地域が本種の生息地としてはもっとも適当であり、個体数も多い。近年、薪炭材の需要の減少により経済価値のなくなった雑木林がスギ・ヒノキの植林地にかえられることが多いこと、ゴルフ場、住宅地造成などによる自然開発、さらにマニアによる食草の掘取り、卵・成虫の乱獲によって本種が絶滅または著しく個体数が減じた地域はきわめて多い

 

8)ヒメギフチョウ Luehdorfia puziloi

成虫は年1回の発生、本州では4〜5月、北海道では5〜6月に出現する。幼虫の食草は本州ではウスバサイシン、北海道ではオクエゾサイシン。成虫の吸蜜植物はカタクリ、スミレ類、サクラ類、キクザキイチリンソウ、ヤマエンゴサクなど。生活史の大要は前種ギフチョウとほぼ等しい。

生息地の環境は温帯性ないし亜寒帯性の落葉広葉樹林(または針濶混交林)、カラマツ植林地およびその周辺で、成虫の出現期には林内が明るく、陽光が林床に届くような場所である。ギフチョウは暖帯性の落葉広葉樹林(雑木林)を主な生息環境とするもので、通常両種は明瞭にすみ分けているが、ギフチョウの分布が温帯林下部にまでのぼる地域(長野・山梨・新潟・福島・山形県の一部)では局地的な両種の混生地が知られている。

北海道、東北地方、本州中部に分布、一般に個体数の多いものではないが、好適な環境の産地では豊産するところもある。

食草の有無は本種の分布を支配する最大の要因であるが、食草があっても分布しない地域は多く、ヒメギフチョウの分布に他の条件が大きく関与していることは疑いがない。樹林の伐採跡地には一時的に食草のウスバサイシン、成虫蜜源となるカタクリが勢力を増し、それにつれて本種もその個体数を増すのが一般であるが、その跡地にスギの植林が行われ、それが成長して春になっても林床に陽がさしこまぬような状態になると本種は消滅する。スギ・ヒノキの造林、土地開発などの環境悪化により絶滅、もしくは著しく個体数を減じた産地は少くない。またマニアによる食草の堀取り、卵の大量採取によって個体数の激減が報告されている地域も多い。

 

9)オオムラサキ Sasakia charonda

成虫は年1回の発生、暖地では6月下旬頃から、寒冷地では7月下旬頃から出現する。関東以南の暖地ではまれに秋9〜10月に部分的な第2化の発生することがある。幼虫の食樹は暖地でエノキ、寒冷地ではエゾエノキ。卵は7〜8月に食草の葉、小枝などに生みつけられ、6〜7日で幼虫が孵化する。幼虫は秋までに暖地で4令、寒冷地で3令に達し、食樹の葉が黄ばみ、落ちるようになると、体色は緑色から褐色に変り、小枝から幹をつたって地上におり、食樹根際の落葉下面に静止して越冬に入る。翌春食樹の芽立ちとともに冬眠よりさめた幼虫は食樹にのぼり摂食を開始するが、越冬後最初の脱皮により緑色となり、さらにもう一度脱皮して終令幼虫となる。蛹化は暖地で6月、寒地で7月に行なわれ、15日内外の蛹期の後、羽化して成虫となる。成虫はクヌギ・コナラ・カシワ・ヤナギ類・タブなどの樹液に来集、あるいは腐果、動物の糞・死体にも集まる。が、花にはこない。

本種の分布の中心は温帯〜暖帯のコナラ・クヌギ・クリ・ミズナラなどの、あるいはそれらの樹種を含む雑木林である。もちろん幼虫の食樹(エノキ・エゾエノキ)の存在は必須条件である。西南日本では照葉樹林にも見られることがあるが、そういう場所では個体数は少ない。

北海道の一部、青森県より九州鹿児島県北部にかけて分布、佐度、隠岐・対島・伊豆諸島などの離島、屋久島以南の南西諸島には分布しない。地方別の生息状況は次のとおりである。

北海道地方;北海道で生息地として知られているのは札幌市と夕張市の周辺地域、最北の産地は石狩支庁浜益村実田である。

東北地方;全県下に分布するが、一般に産地は点在し、個体数もとくに多くない。平地〜低山地の雑木林が主な生息地であるが、これらの雑木林は植林、開発によって破壊されることが多く、ほとんどの地域で個体数の減少が報告されている。

関東地方;全都県下に分布が知られているが、一般に平地〜低山地域の雑木林に多く、1000mをこすような高標高地には生息しない。平地〜丘陵地の雑木林は開発により次々に破壊されているので、現在では多くの生息地で絶滅した。東京・埼玉では武蔵野の雑木林に多かったが、旧東京市内では完全に絶滅、西部の八王子市、青梅市、西多摩郡に辛うじて発生地が残る程度にまで状況は悪化している。神奈川県下でも中部以南の平野部からほとんどその姿を消した。

中部地方;全県下に分布が知られるが、平地〜低山地域の雑木林の伐採が各地で進行し、それらの地域では絶滅または著しく個体数が減少した。しかし山梨県あたりではなお多くの多産地(例えば日春野)が残っており、現在日本でもっとも個体数の多い地域の一つであると思われる。

近畿地方;全府県下に分布が知られるが、都市周辺の生息地では開発によって姿を消した所が多い。一般に個体数は多くない。奈良・和歌山県では産地は少なく、兵庫県宝塚市川面、川西市、神戸市北区などでは絶滅、またはほとんど姿を消した。

中国地方;全県下に分布が知られるが、岡山県下では西南部には生息しない。他地方と同様に平地〜低山地の雑木林の伐採によって個体数の減少が顕著であるが、都市から離れた山麓部の雑木林にはなお多くの発生地が残っている。

四国地方;全県下に分布が知られるが、平地〜丘陵地にはほとんど分布せず、山地・山間の雑木林に生息が残っている。全般的に個体数は少ない。

九州地方;九州地方では福岡・熊本・大分・宮崎・鹿児島県下に産地が知られるが、佐賀・長崎県下に分布しない。九州地方では平地〜丘陵地に発生する所はなく、いずれの県下でも山間部にその生息は限られる。個体数は多くない。宮崎県小林市、須木村、鹿児島県大口市、出水市がその分布の南限、霧島山麓およびそれより以南の地域には分布しない。

東北地方より関東地方にかけては、オオムラサキは人里近くの平地〜丘陵地のコナラ、クリ、クヌギ、アベマキなどの雑木林を主な生息地とするもので、またより高地のミズナラなどの雑木林にもその生活圏は及んでいる。平地〜丘陵地の雑木林は薪炭材の需要の減退から経済価値の低いものとなり、そのため伐採されてスギ、ヒノキの植林が進み、また住宅用地として開発され、オオムラサキの生活に好適な環境は大巾に破壊され、または改変が進行している。したがって多くの地域で本種は絶滅し、残った山地でも著しくその個体数は減少した。日本の西南部、とくに四国や九州では本種の主な生息地は山間の雑木林であるが、これらの場所も森林の伐採がひどく、その個体数の減少は著しい。

 

10)ゲンジボタル Luciola cruciata

地域により、年経過数は多少異なるようではあるが、成虫の活動期間はおおむね6月上旬から7月中旬に及び(九洲では5月上旬、東北地方北部では7月上旬から活動期に入る)、ヘイケボタルの活動期にくらべると、全体的3週間ほど早い。

雌は水辺のコケなどに直径0.5mmくらいの黄色卵をうみつける。産卵数は平均500個くらいとも800〜1200個ともいわれる。地域的な差があるのかもしれない。約1か月(26〜30日)でふ化した幼虫は流水に入り、カワニナを餌に生活をはじめる。冬を越し、3、4月頃までに6回脱皮し、充分に成長した幼虫は雨の日を選んで上陸、土中に潜入して蛹化、約30日の蛹期を経て羽化する。羽化は雄が雌より約1週間早い。羽化した成虫は雌雄とも水をのむだけで餌はとらない。そうして10〜20日間で寿命を終える。

本種の生息環境としては、清流の存在すること、餌となるカワニナが生息すること、水辺には蛹化に適する地面があり、産卵に適したコケが生育していることなど、少くとも三つの条件が必要である。また水に関しては、年間を通じて水温が5〜21℃の範囲にあり、PH6.5〜7.8、水草の繁茂していないことなどが条件となる。

ゲンジボタルは本州・四国・九州、それに離島部では粟島・佐度・隠岐・対馬・淡路島・小豆島などに広く分布するが、北海道、伊豆諸島、壱岐、五島列島および種子島以南の南西諸島には見られない。

生息地として報告された地点は、兵庫県以外は全般的に少ないが、これは情報源が乏しかったことに原因があるらしい。実際には、さらに多くの潜在生息地が存在していると考えてよいと思う。

生息地の消失・個体数減少をもたらした要因としては、農薬使用(山形県ほか17県)、イワナ漁などのための毒流し(青森)、殺貝剤によるミヤイリガイ駆除(山梨)、牧場・養豚場などからの汚水流入(青森・茨城)家庭排水流入(茨城など3県)(このほか、単に水汚染としたものが東京など6県あり)、砕石、土木工事による土砂流入(青森など3県)、宅地造成による流水の消失・土砂流入(千葉県など3県)、川砂利採取(福岡)、河川・用水路の改修(福島県など18県)、乱獲(山梨など4県)、水害(佐賀)などが指適された。ここに挙げられた要因は、各地におけるゲンジボタルの減少と、多かれ少なかれ関係を有しているものと考えられる。

興味深いのは、砂防ダムやダムの建設で河川の水量が安定したり、川床が安定したりすると、これがゲンジボタル発生に好結果をもたらすとする報告のみられたことである(和歌山、兵庫)。

共通的な報告事項は昭和30年代に生息地の消滅やホタルの個体数の減少がおき、最近、少しずつ回復しつつあるということである。その理由として、強力な農薬の使用との関係が指適されている。

ゲンジボタルは古くから日本人に親しまれてさた日本の代表的昆虫の一つである。山間部のみならず低地でも、そこに清流があればゲンジボタルは生息していた。江戸時代の記録を見ると、東京の23区内にもホタルの名所が散見され、その状況をしのぶことができる。しかし、現在では都市域からはほとんど姿を消し、また田園地帯や山間部でも絶滅あるいは減少した地が少なくない。

こうした衰退への対応策の一つとして、ゲンジボタルの養殖がはじめられた。養殖は昭和12年、守山市の南喜市郎氏によってはじめて手がけられたが、昭和40年代に入ってからは全国的にこの事業が普及しはじめた。地方自治体の自然保護活動として、中・高・大学などのクラブ活動の一環として、あるいはまた、「守る会」、「愛護会」、「保存会」、「研究会」など民間団体の活動として、目下急速に進展している。しかし、このような養殖、放流には問題が少なくない。

すなわち、個体数が減少した地域で、地先のホタルを養殖して幼虫を放流するのであればともかく、すでに絶滅した地区または激減した地区に、他の地域からホタルを導入して放流した場合、形態だけでなく、おそらく生態的にも一様のものではない、日本のゲンジボタルの自然分布を撹乱する結果になるからである。現在、すでに卵を生産して全国各地にそれを分譲する業者すら現われている。これは「ホタルの家畜化」以外の何ものでもない。

それぞれの地域に、それぞれ生き続けてきた歴史的なホタルの生活を守ってこそ、はじめて自然を、そしてホタルを守ったことになるのである。

 

3.指標昆虫類の分布・生息環境の状態からみた都道府県の環境診断の試み

 指標昆虫類の生息環境は、山地から平地に至るまでの汚濁や改変が進んでいない水環境(渓流、小川、湿地、池沼)や自然林や二次林などで、これらは人間の生活域の中に馴じみ深い自然環境、いわば里山・田園的自然の代表的要素とみなしうるものである。

 このような環境は比率は異なってもいずれの都府県にも存在すると考えられ、指標昆虫類もほぼ全国に分布するものであるから、もしこれらの昆虫がすべて、比較的容易に見出すことができるなら、その地域は里山・田園的自然が良好な状態で存在していると考えることが可能であろう。逆に本来当該地域に生息するはずの、ある種の指標昆虫の生息が確認できなかったり、極端に少ない場合は、対応する環境が消失ないし破壊されているか、見かけ上存在していても当該種の生息を許さない質的変化(悪化)が生じているものとみなすことができるだろう。

 このような観点から、都道府県ごとに、馴染み深い自然環境がバランスのとれた状態にあるかどうかを、昆虫の生息状態を通して診断することを試みた。

 但し、10種の指標昆虫類のうち、ガロアムシ目は馴染み深い自然環境の指標としてはやや適格性を欠く上、落葉下や土中、石下などを生息場所とするため、きわめて目につきにくいこと、一般にこの類に関する知識が普及していないこと等の理由で十分な情報が得られなかったと思われるので、分析の対象からは除外した。

(1)分析の方法

都道府県内に馴染み易い自然環境が、調和のとれた状態で存在しているかどうかを推定するため、そのような環境がどの程度存在するかの指標として、昆虫の生息地の規模を、そしてそれが良好な状態で保たれているかどうかの指標として、昆虫の生息環境の状態を調査結果より集計した。

1 生息地の規模の把握(分布指数の算出)

指標昆虫類の生息しうる環境は、いずれの都道府県にも存在しうると述べたがその存在比率はおそらくさまざまであり、さらに実際の生息地となれば、種自体の地理的分布特性に大きく影響を受ける。指標昆虫は全国的に分布するものから選ばれたが、北海道から沖縄まで分布するのはタガメのみであった(これも調査実施後、追加情報によって北海道における生息が確認されたものである)。

図2−7−11は指標昆虫類9種の分布状況を都道府県別に表わしたものである。この図から分るとおり、対象種9種は本州、特に中央部を中心に分布しており、種類数からみて十分な分析が可能なのは本州のみで、北海道、沖縄はこの分析対象から除外せざるを得ない。又本州の一部、四国、九州は情報の欠如に留意して、分析結果を解釈する必要がある。

従って東北地方や四国、九州は幾つかの種の分布限界地域となるが、これらの地域においては一般に当該種の分布域は狭いので、生息地の狭さから直ちに馴染み深い環境が少ないと判定することはできない。

都道府県間の比較を行う際に問題となるのは、生息地域の広がりの表わし方が十分統一されていないことである。集計段階ではメッシュへの変換が行われたが、調査時点では、生息地域の表示は既知の面積に応じその外周を囲むか(くくり)、点表示かの方法がとられた。前者の場合、広がりを過大に表現し勝ちである上、不確実な情報がこの形で表現されることがままある。一方、点表示は逆に広がりを過少評価する傾向があり、この方法をとった場合、不確実な情報が除外され易い。

このような表示方法による偏りを極力取除くため、都道府県内の生息地の箇所数と、生息地の広がりをメッシュに変換した際のメッシュ数との相乗(幾何)平均を求め、これをそれぞれの種の当該地域における分布域の規模を示す指数(分布指数〔D.I〕)とした(付表2図2−7−12)。これには破壊された生息地もカウントされているので、或る程度過去に遡った時点での生息状況(現時点で知りうる限りの原分布)を表わしている。

2 生息環境の状態の把握(環境指数の算出)

生息環境の状態については「生息環境の現状」として、生息地ごとに「良好」

「不良」「破壊」の判定が調査者によってなされている。都道府県ごとの生息環境の状態を推定するのに、現状把握のなされた生息地(「不明」を除いたもの)の箇所数、メッシュ数に対する「破壊」及び「不良」な状態にある生息地の箇所数、メッシュ数の比を求め、1と同じ理由により相乗(幾何)平均を算出し、これを環境指教(E.I)とした(付表2図2−7−12)。

但し、この方法で求めた値は悪化ないしは改変の程度を表すものであるので、良好な状態を表す場合は、この値を100から減じたものを用いた。

この場合にも1で検討したように、昆虫の地理的分布特性に由来する地域差を考慮しなければならない。すなわち、分布限界地域での生息条件は下方限界に近いことが多く、このような場合には、分布の中心域(各種の生息条件が最適範囲にあることが多い)では、ほとんど影響のないような環境の変化も、致命的な打撃となることがあり、分布限界地域の環境指数はある程度割引いて考える必要があるだろう。

3 都道府県別レーダーチャートの作成

指標昆虫類の分布状況、生息環境の状況によって表わされるト−タルな自然環境の状況を都道府県単位で把握するため、12で算出した指数を用いてレーダーチャートを作成した。

作成に当たっては、「分布指数」、「環境指数」を次のとおり区分し、このランクに応じて、該当する種名の位置にプロットした。

各都道府県のレーダーチャ−卜及び表示内容の詳細は図2−7−13〜14に示すとおりである。

(2)分析結果(指標昆虫類の分布状況、生息環境状況による都道府県の環境診断)

1 判定基準

環境診断をするに当たっては昆虫類の生息地の大小、生息環境の良、不良を判定する基準が必要である。

現在のところこれを生物学的に区分するための手段、知見は存在しないので、操作的なものにならざるを得ない。ここでは、一応分布指数の場合はU未満を、環境指数の場合はU以下をそれぞれ生息地が限られている状態、生息環境の改変ないし破壊が進行している状態とみなして区分を行った。

なお表2−7−4は各ランクに属する都道府県数であり、タガメの分布指数、環境指数の低い県の多いのが目立つ。

2 都道府県の環境診断結果

作成されたレーダーチャートから、表2−7−5に示す類別がなされた。これによると、全種の生息環境が良好な状態にあるのは岩手、三重、京都、岡山、広島、山口の府県で、これらの地域では、馴染み深い自然環境が調和のとれた状態で存在しているといえる。但し十分な現地確認が行われず、大部分の生息地が、生息環境に関し不明として記録されている場合は、環境指数が実態を反映していない場合がある。そのような場合には、生息数を参考にして補正を行った。

また、成る環境の指標種の全部又は一部が自然分布しない地域があるが、この場合他の指標昆虫のすう勢に従った。

このような操作により、ある区分に追加された地域が( )内に示されている。上記の府県を除く都道府県には、9種の指標昆虫類の表わす馴染み深い自然環境のいずれかの部分に、破壊や悪化の徴候が存在すると考えられる。表2−7−5にはトータルな環境の他に、8区分を設け、それぞれの区分に属する環境が良好な状態に保たれている、あるいは改変悪化が進んでいると思われる都府県を示した。

環境を水辺と林地に分けた場合、水辺環境が良好な状態にあるのは、愛知県1県のみであるのに対し、林地が良い状態にあるのは、富山県をはじめ多数あり、対照的である。地形的にみて山地〜低山地の環境が良好なのは、茨城と宮城である。ただし宮城はムカシトンボが自然分布するか否かが不確実であるので若干の疑問が残る。低山地から平地にかけて良好なのは福島県のみである。

山地から低山地にかけての水辺環境が良好なのは、埼玉、新潟、静岡、和歌山、山形、宮崎の7県であり、この区分は林地環境が良好な区分に次いで多い。林地境境が良好なのは岐阜県であった。低山地から平地にかけての水辺環境が良好なのは大阪、長崎、そしてハッチョウトンボが自然分布しなければ大分の1府2県で、林地境境が良好なのは栃木、山梨であった。

 

4.指標昆虫類の生息環境の破壊・改変要因や個体群の絶滅・減少要因

 調査票の記述から、生息環境の破壊・改変の要因や個体群の絶滅・減少の要因を読み取り類型化し、「破壊」、「不良」の表示のある生息地と対応させ、都道府県ごとにメッシュ数を集計した(資料編)。

  調査票の記述は、個々の生息地と対応していないうえ、すでに述べたように分布図上の生息地の表示方法は一定していないので、この集計値をもって、当該種に対する各種要因の影響の程度を定量的に把握するのは困難である。そこで、指標昆虫類の環境圧の種類とその程度を、相対的に把握するため、要因ごとに生息メッシュ総数に対する百分比と、要因の指摘された都道府県数の、生息する都道府県数に対する百分比を求めたうえで、これらの相乗(幾何)平均を求めた(表2−7−6)。

 これによると、生息環境そのものを破壊する要因(物理的改変)としては、道路建設、森林伐採(植林を含む)、建物宅地造成、河川改修(ダム建設を含む)が主なもので、生息環境の質を悪化させる要因(化学的改変)としては、薬剤散布や生活汚廃水・工業廃水等による河川の汚染が挙げられる。なお、物理的改変の一要因として、観光開発が挙げられているが、これは、具体的には路建設、森林伐採、建物宅地造成等の改変行為を含むものと思われる。

 これらの要因によって影響を受ける頻度は、種によって異なり、ムカシトンボ、ムカシヤンマは道路建設、森林伐採が主であり、ゲンヂボタルは河川改修、薬剤散布に、ハッチョウトンボは建物・宅地造成(による湿地の埋立)に、タガメは薬剤散布に強く影響を受けている。

 林地を生息環境とするものは、おおむね森林伐採や、建物・宅地造成による森林の伐採、及び薬剤散布の影響が大きかった。ギフチョウ、ヒメギフチョウ、オオムラサキのチョウ類では、これに加えて乱獲も大きな圧力となっている。乱獲による影響が大きい種としては他にゲンジボタルがあった。

  全体的にみると、ギフチョウとタガメに対する各種要因の影響が大きく、オオムラサキ、ゲンジボタル、ハッチョウトンボがこれに次いで大きな影響を受けている。

 

5.特定昆虫類調査の概要

 調査手法等は指標昆虫と同一であるが、調査対象種は予め定められておらず、各都道府県で、下記の基準により、50〜100種を選定して、その生息地・環境・生息状況の現状などを調査した。

A 日本ではそこにしか産しない種

B 分布域が限定されている種

C 分布限界と思われる種

D 絶滅のおそれのある種

E 絶滅したと思われる種

F 乱獲により減少のはげしい種

G 環境指標となり得る種

  さらに、特定の分類群に偏ることを避けるため、できるだけ多くの目にわたるように選定し、その結果22目1,754種の昆虫類が選ばれた。

  これを選定基準別に整理したものが表2−7−7である。

  選定基準別の種数についてみると、Bが最も多く1009種(及び亜種)で特定昆虫全体の6割近くがこの基準に該当する。次いで多いのは699種(約4割)のCで、以下D(313種),A(273種),G(195種),E(65種),F(61種)の順であった。

 

6.選定基準による保護の見地からみた特定昆虫類の位置づけ

 選定基準はGを除くと、分布状況を表すもの(A〜C)と生息状況の傾向(特に絶滅、減少に関する)を表すもの(D〜F)とに分けられる。

  両者は「保護の必要性」という観点から或る分類群内部で優先順位を付けようとする際、考慮すべきであり、かつ現実的に判定可能な基準である。

(1)分布状況を表わす基準

ア.選定基準Aは「日本ではそこにしか産しないと思われる種」と定義されるが、これには二つの場合が想定される。すなわち1世界的にみても日本にしか産しないもの(日本特産種(又は亜種))2世界的に見れば他の地域(主としてアジア地域)にも産するが日本では唯一の地域にしか産しないもの、の二つである。

又「唯一の産地」とみなすべき地域の広がりが明確でないが、とりまとめに当たった専門委員の共通的認識としては、不連続な分布をする場合には、その範囲がおおむね都府県程度、連続的な分布をする場合には数県にまたがることもあるが、この場合でも面積的には1都府県程度のもの、というところである。したがって、北海道全域に広く分布するものを他地域に見出せないからといって〔A〕に含めるのは妥当ではない。

イ.選定基準Bは「分布域が国内若干の地域に限定されている種」と定義されるものであるが、この場合にもアの12の区分が成立する。「若干の地域」とは、おおむね1地方程度であり、全国的に分布する場合は5〜6県内とするのが妥当と思われる。

ウ.選定基準Cは「普通種であっても北限・南限など分布限界になると思われる産地に分布する種」である。この基準においても12のカテゴリー区分は成立すると思われるが、主として2のカテゴリーに属し、大陸の北方地域のものが南限種、東南アジア地域のものが北限種となる場合が多いようである。

(2)生息状況(絶滅、減少傾向)を表す選定基準

ア.選定基準Dは「当該地域において絶滅の危機に頻している種」であり、具体的な判定根拠は明確でないが、地域的な絶滅の前段階と解釈される。

イ.選定基準Eは「近年当該地域において絶滅したと考えられる種」であり、将来の復元可能性とは別に、現時点では当該地域では生息が確認されなくなった種である。

ウ.選定基準Dは「業者あるいはマニアなどの乱獲により、当該地域での個体数の著しい減少が心配される種」で、これは生物の生存を脅かす要因のうちできわめて選択的であり(他の圧力ははじめから種そのものに向けられているものではない)、かつ昆虫の保護の点からは無視できない採集について取上げたもので、生息状況は、D程度あるいはその前段階とみなしうる。

(3)種の保護の見地からの優先順位

分布状況を表す選定基準には「種(又は亜種)そのものの絶滅の危険性の程度」あるいは「(当該地域において絶滅した場合の)復元の可能性の程度」からみたランク付けという含意があることは明白である。すなわち、日本特産種の唯一の生息地で、その個体群が絶滅すれば、当該種は全く回復の可能性はなく「種そのものが絶滅」したことになる。周辺大陸等に同一種が存在する場合は、人為的な導入を別とすれば、復元の可能性はほとんどないといってよいだろう。分布域が限定される種の場合は、生息環境が保たれているか、復元されれば周辺からの侵入等によって回復する可能性は十分あるだろう。しかし、分布の不連続性が著しいものはこの限りでない。

分布の限界地域は、当該種の必要とする生息条件が許容限度いっぱいであることが多いため、容易に地域個体群の絶滅が生じ易いが、これは種の分布域の縮小をもたらすが、種そのものの存続を脅かすには至らないだろう。

したがって、これらと生息状況を表す基準D・E・Fを組合せれば、種の保存という観点から憂慮すべき順位がおのずから明らかとなる。(表2−7−8

(4)選定基準別特定昆虫類

上記の検討を踏まえ、特定昆虫類1754種を次の要領でリストアップした(資料編)。

ア.選定基準A

選定基準Aに該当する種は、現在のところ、絶滅、減少の徴候が認められない種も含めて全種リストアップした。

イ.選定基準E

全種リストアップした。

ウ.選定基準Bであり、かつDであるもの

選定基準B及びCについては、分類が十分進んでいないグループや小型種、微小種の多いグループでは分布域が把握されておらず、この基準のあてはめは困難であることが多い。そこで分類がよく進んでおり目につき易い大型種の多いグループに限ってリストアップを進めた。対象としたのは、蜻蛉目、直翅目、網翅目(カマキリ類)、半翅目(同翅亜目)、鱗翅目(蝶類)、鞘翅目(ハンミョウ科、オサムシ科、ゴミムシ科、ゲンゴロウ科、クワガタムシ科、コガネムシ科、タマムシ科、カミキリムシ科)である。これに該当するのは合計+++種であった。

エ.多くの都道府県でD又はFとして選定されたもの(5県以上)

オ.選定基準G

選定基準Gは「環境指標として適当であると考えられる種」であり、この点については今後の検討課題とする。

 

7.まとめ

(1)指標昆虫類

或る生物の存在の有無によって、地域内の特定の環境の把握を行おうとする場合には当該地域内において悉皆調査が実施されなければならない。指標昆虫類の調査は限られた数の調査員によるものであったため、既存資料の収集・整理が中心とならざるを得ず、現地確認や聞込みは、可能な範囲で補充的に実施されたにすぎない。したがってタガメのように以前はごくありふれた種であったため、研究者の関心が薄く信頼しうる記録が全体に乏しいところもあったりで、本調査の結果が都道府県の現実の分布状況を正確に反映しているという状態には至っていないのが実情である。

しかし、地域的にみれば情報の欠落はある程度認められたとしても、本調査は当該昆虫類に関する全国的な分布調査としては未曽有のものであり、その結果は現時点では分布状況を把握しうる唯一かつ最大の情報量を有する資料である。

そこで、これら指標昆虫類の分布状況、生息環境の状況を複合的な環境指標としての地域特性の把握は、都道府県レベルでは十分な合理性をもつと判断し、上述の作業を行ったものである。

この作業によってなされた都道府県ごとの環境把握は、現地確認がある程度行なわれたところではそれぞれの地域の調査者が記述している地域の状況とおおむね一致していると思われた。

ただしすでに述べたように全国に広く分布することを条件として選定された指標昆虫類ではあるが、自然分布しない地域も多く対象とする自然環境を網羅できない場合や、分布していても分布域の限界付近のものは自然状態でも脆弱であるためか、人為的な影響以上に状態が劣化していると考えられる場合もあった。

この点を改善するためには、このような地域ではそれに替わる種を選定することが均質な情報量の増大とともに今後の課題となるだろう。

環境指標生物という性格上、全国的に広く分布し、かつ、かなり普通に生息している(はずの)種が、調査対象として選定されたが、調査の結果、これらの種の多くは、生息地の破壊や汚染、乱獲等により、著しく数を減じていることが明らかとなった。特に人間活動の盛んな平地部の小止水(池沼や湿地)を生息域とする種類(タガメやハッチョウトンボ)にその傾向が顕著であった。

(2)特定昆虫類

幾つかの基準を設けて選定された特定昆虫類は、1754種という多数に上った。これらの種に対して、「種」の保存−絶滅の危険性という観点から再検討を加えた。

 

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